フライ・オットー

フライ・オットー
生誕 1925年5月31日
ドイツ ジーグマ
死没 (2015-03-09) 2015年3月9日(89歳没)
ドイツ ヴァルムブロン
国籍 ドイツの旗 ドイツ
出身校 ベルリン工科大学
職業 建築家
受賞 トーマス・ジェファーソン・メダル(1974年)
ウルフ賞芸術部門(1996年/1997年)
RIBAゴールドメダル(2005年)
高松宮殿下記念世界文化賞(2006年)
プリツカー賞(2015年)
所属 アトリエ・フライ・オットー・ヴァルムブロン
建築物 モントリオール万国博覧会西ドイツ館
ミュンヘン・オリンピック競技場
ミュンヘン・オリンピック競技場
ハノーヴァー万国博覧会日本館屋根

フライ・パウル・オットー (Frei Paul Otto、1925年5月31日 - 2015年3月9日) はドイツ建築家構造家。ケーブルネット構造や膜構造を使った空間が評価されている。特に博覧会のパヴィリオン建築や競技場建築など、その用途上大空間を必要とする建築物において、彼の得意とする膜構造の吊屋根のメリットが生かされている。自然科学から着想を得た、物理的にも意匠的にも軽やかな構造を得意とし、曲面の設計の際にはシャボン玉などを用いた実験を行うこともある。

経歴

フライ・オットーは、建築学を学んだ後、第二次世界大戦末期にドイツ空軍に召集された。戦闘機パイロットであった彼は、眼下の街が次々と破壊されてゆくさまに強い衝撃を受け、「永続的」で「頑丈」であることを旨とした従来の建築観への疑問と諦念を抱いたという。フランスの捕虜キャンプにおいて、住居の必要に迫られながらも、資材も何もない厳しい状態に直面した。そのときテントを駆使して住居を構築する実験を始めたのが、彼の膜構造建築への関心のはじまりであったといわれている。

第二次世界大戦後、オットーは短い間だがアメリカを訪れ、 エーリヒ・メンデルゾーンリチャード・ノイトラフランク・ロイド・ライトミース・ファン・デル・ローエと会う。その後、1952年からドイツで独自の活動を開始し、馬の鞍型の三次曲面を用いたドイツ庭園博覧会の多目的ホールで注目を浴びた。彼が膜構造を本格的な建築構造として発表したのは1954年の博士論文「吊り屋根」でのことだった。この吊り構造の研究で博士号を取得する。

オットーは、吊り構造を用いた軽量建築物の世界的権威であり、土木技術における構造計算技術にも業績を持つ。オットーは、バックミンスター・フラーとも似た「実験」と「実践」の業績を重ねてきたといえる。その他にも両者はセントルイス・ワシントン大学ベルリン工科大学で教鞭をとったこと、1967年のモントリオール万国博覧会の主要パヴィリオンを設計したこと、効率的なフレーム構造を追求したこと、「膨らませる建築」の実験を行ったことなど、偶然とも必然ともつかぬ共通点を持ち、両者とも従来の構造力学・構造計算手法を大きく超えた成果を出している。

オットーは1964年シュトゥットガルト大学の教授に就任し、同大学にて軽量構造研究所を設立した。その頃の作品のひとつに、代表作であるミュンヘン・オリンピック競技場がある。1984年ウィーン工科大学で開催された国際シンポジウム "Mehsch und Raum"(「人と空間」の意) における講演でも注目を集めている。

オットーが手がけた晩年のプロジェクトのひとつとして、2000年ハノーヴァー万国博覧会・日本館があり、材料としてを用いるなど、材料・構造両面での挑戦的な作品である。

2015年3月9日死去[1]。89歳没。

作品

名称 所在地 協働者 備考
かつせるの/カッセルの屋外音楽堂 1955年 カッセル ドイツの旗 ドイツ
けるんれんほう/ケルン連邦庭園博覧会 ダンス場 1957年 ケルン ドイツの旗 ドイツ
すいすはく/スイス博覧会のパビリオン 1964年 ローザンヌ スイスの旗 スイス
けいりようこうそう/軽量構造研究所 1967年 シュトゥットガルト ドイツの旗 ドイツ
もんとりおるはんこく/モントリオール万国博覧会西ドイツ館 1967年 モントリオール カナダの旗 カナダ
とわいく/トワイク宮殿 1970年 リヤド サウジアラビアの旗 サウジアラビア ビューロー・ハッポルド社
ほつきよく/北極の街 1971年 丹下健三 実現せず
みゆんへんおりんひつ/ミュンヘン・オリンピック競技場 1972年 ミュンヘン ドイツの旗 ドイツ ギュンター・ベーニッシュ
まんはいむ/マンハイムの多目的ホール 1975年 マンハイム ドイツの旗 ドイツ
ひんくふろいと/ピンク・フロイドのステージ・ルーフ 1977年 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
みゆんへんとうふつえ/ミュンヘン動物園・鳥舎 1980年 ミュンヘン ドイツの旗 ドイツ
はのうあはん/ハノーヴァー万国博覧会日本館屋根 2000年 ハノーファー ドイツの旗 ドイツ 坂茂、ビューロー・ハッポルド社

受賞

外部リンク

Ausgewählte Arbeiten von Frei Otto und seinen Teams (ドイツ語)

脚注

  1. ^ フライ・オットー氏死去=ミュンヘン五輪競技場など設計 時事通信 2015年3月11日閲覧
建築
音楽
絵画
彫刻
カテゴリ カテゴリ
カテゴリ カテゴリ

イオ・ミン・ペイ 1989 / ジェームズ・スターリング 1990 / ガエ・アウレンティ 1991 / フランク・ゲーリー 1992 / 丹下健三 1993 / チャールズ・コレア 1994 / レンゾ・ピアノ 1995 / 安藤忠雄 1996 / リチャード・マイヤー 1997 / アルヴァロ・シザ 1998 / 槇文彦 1999 / リチャード・ロジャース 2000 / ジャン・ヌーヴェル 2001 / ノーマン・フォスター 2002 / レム・コールハース 2003 / オスカー・ニーマイヤー 2004 / 谷口吉生 2005 / フライ・オットー 2006 / HdM 2007 / ピーター・ズントー 2008 / ザハ・ハディッド 2009 / 伊東豊雄 2010 / リカルド・レゴレッタ 2011 / ヘニング・ラーセン 2012 / デイヴィッド・チッパーフィールド 2013 / スティーヴン・ホール 2014 / ドミニク・ペロー 2015 / パウロ・メンデス・ダ・ロシャ 2016 / ホセ・ラファエル・モネオ 2017 / クリスチャン・ド・ポルザンパルク 2018 / トッド・ウィリアムズ・ビリー・ツィン 2019 / グレン・マーカット 2021 / SANAA 2022

1881-1900
  • 81: ジョージ・ゴドウィン(英語版)
  • 82: ハインリッヒ・フォン・Ferstel(英語版)
  • 83: フランシス・ペンローズ(英語版)
  • 84: ウィリアム・バターフィールド(英語版)
  • 85: ハインリヒ・シュリーマン
  • 86: シャルル・ガルニエ
  • 87: ユアン・クリスチャン(英語版)
  • 88: バロン・フォン・ハンセン・Theophil(英語版)
  • 89: チャールズ・トーマス・ニュートン(英語版)
  • 90: ジョン・ギブソン(英語版)
  • 91: アーサー・ブロムフィールド(英語版)
  • 92: セザール・デイリー(フランス語版)
  • 93: リチャード・モリス・ハント(英語版)
  • 94: レイトン卿
  • 95: ジェームズ・ブルックス(英語版)
  • 96: アーネスト・ジョージ(英語版)
  • 97: ピエール・コイペルス(英語版)
  • 98: ジョージ・Aitchison(英語版)
  • 99: ジョージ・フレデリックボドリー(英語版)
  • 00: ロドルフォ・Lanciani(英語版)
1901-1930
1931-1950
1951-1970
1971-1990
1991-2010
2011-
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • FAST
  • ISNI
  • VIAF
  • WorldCat
国立図書館
  • ノルウェー
  • スペイン
  • フランス
  • BnF data
  • カタルーニャ
  • ドイツ
  • イスラエル
  • アメリカ
  • スウェーデン
  • 日本
  • チェコ
  • オーストラリア
  • オランダ
  • ポーランド
学術データベース
  • CiNii Books
  • CiNii Research
芸術家
  • ベルリン芸術アカデミー
  • ニューヨーク近代美術館
  • オランダ美術史研究所データベース
  • ULAN
人物
  • ドイッチェ・ビオグラフィー
  • Structurae
  • Trove(オーストラリア)
    • 1
    • 2
その他
  • SNAC
  • IdRef