メアリー (グロスター=エディンバラ公爵夫人)

メアリー
Princess Mary
グロスター=エディンバラ公爵夫人
在位 1816年7月22日 - 1857年4月30日
続柄 ジョージ3世第4王女

身位 Princess(王女)
敬称 Her Royal Highness(殿下)
出生 1776年4月25日
グレートブリテン王国の旗 グレートブリテン王国
イングランドの旗 イングランドロンドンバッキンガム宮殿
死去 (1857-04-30) 1857年4月30日(81歳没)
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランド、ロンドン、グロスター・ハウス
埋葬 1857年5月8日
イギリスの旗 イギリス
イングランドの旗 イングランドウィンザー城、聖ジョージ礼拝堂
配偶者 グロスター=エディンバラ公爵ウィリアム・フレデリック
家名 ハノーヴァー家
父親 ジョージ3世
母親 シャーロット・オブ・メクレンバーグ=ストレリッツ
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グロスター=エディンバラ公爵夫人メアリー王女(Princess Mary, Duchess of Gloucester and Edinburgh, 1776年4月25日 - 1857年4月30日)は、イギリス王ジョージ3世とその王妃シャーロットの間の第11子、四女。従兄のグロスター=エディンバラ公ウィリアム・フレデリックに嫁いだ。

略歴

メアリーは娘たちを手元から離したがらない両親のそばで、姉妹たちと一緒に生活を送った。メアリーはジョージ3世の6人の娘たちの中で最も美しい王女で、1796年頃にはロンドンに亡命中のオランダ総督・オラニエ公ウィレム5世の末息子フレデリック(1774年 - 1799年)と恋仲になった。しかしジョージ3世は娘たちは年齢順に結婚すべしと決めており、2人の結婚を許さなかった。1799年にフレデリックが従軍中に戦病死すると、メアリーは公に喪に服することを許可された。

1816年7月22日、メアリーは従兄のグロスター=エディンバラ公ウィリアム・フレデリックとバッキンガム宮殿の礼拝堂で結婚した[1]。メアリーの長兄である摂政宮ジョージ王子(後のジョージ4世)はこの結婚に際し、ウィリアム・フレデリックの敬称を単なる「Highness」から「Royal Highness」に昇格させている。これは妻と夫の身分を対等にするための措置であった。

グロスター公爵夫妻はバグショット・パークで暮らし、メアリーは夫の死後はリッチモンド・パークホワイト・ロッジに移った。公爵夫妻には子供が無かった。メアリーは姪のヴィクトリア女王には慕われていたという。また長兄のジョージ4世と非常に仲が良く、ジョージ4世と一緒になって彼の妻キャロライン・オブ・ブランズウィックを激しく嫌った。メアリーはジョージ3世の15人の子供たち(うち2人が夭折)の中で最も長生き(81歳)し、そして最も後まで生きていた。

脚注

  1. ^ Weir, p. 299

参考文献

  • Alison Weir, Britain's Royal Families, Vintage, 2008.
イギリスの旗 結婚によりイギリスのプリンセスとなった人物
第1世代
第2世代
第3世代
  • マリア・ウォルポール
  • アン・ホートン
第4世代
第5世代
  • マリー・オブ・サクス=アルテンバーグ
第6世代
第7世代
第8世代
第9世代
  • バージット・ヘンリクセン
  • キャサリン・ワースリー
  • マリー=クリスティーヌ・フォン・ライプニッツ
第10世代
  • ダイアナ・スペンサー
  • カミラ・シャンド
  • セーラ・ファーガソン
  • ソフィー・リース=ジョーンズ
第11世代
  • キャサリン・ミドルトン
  • メーガン・マークル
* : イギリス王女(Princess of Great Britain and Ireland)の称号と殿下(Highness)の敬称を自身の権利によっても有していた者。
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